あなたが幸せであるようにっていつまでも祈っているよ


 部屋を訪ねた私を迎えてくれた父親はいつもと変わらないように見えた。だけど、その目元は確かにほんのりと赤く腫れていた。
「あのね、コンラッドが教えてくれたの。ユーリが寂しくて泣いてますよって」
 だから慰めてあげてください、と私に頼んだ彼もまた少しだけ寂しそうだった。それはユーリが抱えている寂しさとは違う種類のものだったのだろうけど。
 恐らくもっとも知られたくなかっただろう私に『告げ口』した、ここにいない彼の名前をユーリは苦々しく呟いた。だけど、私はコンラッドに感謝してるよ。だって、ユーリってば、私がそうするって決めたときからずっとものわかりのいい父親の顔しかしなかったんだもの。そういうのって寂しいじゃない、お互いに。
 私の結婚が決まったのはもう半年以上前のこと。そして、いつの間にか月日は過ぎて、私がお嫁に行くまであと数日になってしまった。
 同じカウチに座って甘えるように腕を組んだ。虚勢がばれて気まずそうな顔をしている父親を見上げる。
「ねえ、ユーリ。グレタね、ユーリがどうしても嫌なら結婚なんかしなくてもいいんだよ?」
 言うと父親は目をぱちくりさせた。
「……あいつのこと、好きじゃないのか?」
 そんなわけないじゃない。どんなに大恋愛だったか、ユーリだって知っているくせに。
「ううん、大好きだよ。でもね、一番はユーリだから」
 それはきっと永遠に変わることがない真理。
 彼のことは愛しているけど、もしユーリが本当に反対するなら、私は彼をあきらめる。本当は愛を貫くべきところかもしれないけど、私は何よりもユーリを一番に優先したい。だって、あのときから、私の世界はユーリ中心に回りはじめてしまったんだもの、仕方ない。
 ユーリとの出会いを思い出すと数年経った今でも申し訳なくて恥ずかしくなるよ。だけど絶対に忘れたくないとも思うの。あんなことをした私の願いをユーリは叶えてくれたから。子供でいられなかったはずの私を本当にただの子供にしてくれたから。
 ただ愛してくれたから。
「グレタはね、ユーリにいっぱい幸せをもらったの」
 そう言うとユーリはすぐに「おれだってグレタがいてくれて幸せだった」と言ってくれた。真剣にそう言ってくれるユーリに私はいつでも救われる。ユーリだったら絶対にそう言ってくれるってわかっているけど、でも、ユーリは私といて幸せだったのかなって、いつも不安になるから。
「グレタはちゃんとユーリにもらっただけの幸せを返せたかな?」
 もちろん、とユーリは言うけど、私には到底返せているとは思えない。ユーリが私にくれたものはこんな短い時間で返せるようなものじゃないのだ。それでも今まで返せるようにと精一杯がんばってきたけど、時間切れ。私はもうユーリのそばにいられない。
「グレタね、ユーリからもらった幸せを今度はあのひとにあげようと思うの。あのひともね、きっとグレタを幸せにしてくれる。そうでしょう?」
 うなずいてくれたユーリに私は畳みかけて言う。
「だから、グレタはもう大丈夫。大丈夫だから、ユーリは、今度はグレタじゃない誰かを幸せにしてあげて。そうして、その誰かに幸せにしてもらって。……ね、お願い」
 ユーリの手をぎゅっと握り締める。見上げた黒い瞳は彼らしくないほどに揺らいでいた。
「グレタはユーリが心配なの。ユーリは自分よりもほかのひとのことを大事にしちゃうから。その分、まわりから大事にされているのはわかっているんだけど、でもやっぱり心配だな。ユーリは無茶しちゃうだもの。我慢しちゃうんだもの」
 そうして我慢をして、一番大事なことを言えないままでいるって、私は知っているよ。
「本当はずっとユーリの側にいたかった。だけど、グレタにはあのひとがいるし、それにグレタはきっとユーリよりもずっと早く死んじゃうから」
 ユーリの見た目は出会った頃とほとんど変わらない。今では私よりも年下に見えるくらいだ。別の世界で生まれたとはいえ、ユーリはやはり魔族で、魔族の月日の中で生きている。そして私は人間なのだ。
「親よりも早く死ぬなんて、グレタは親不孝ものだよね。ああ、もう、そんな顔しないで。わかっているよ、ただそういうふうにできているってだけで、仕方がないことだって。でも、だから、せめて、残ったユーリが幸せでいるようにできることをしたいの」
 私は立ち上がり、部屋の入口まで歩いた。扉を開けると思ったとおり、彼がいる。
「ね、ユーリを幸せにしてあげて。……コンラッド」
 その名前を聞いて、ユーリは焦った声をあげる。彼は――コンラッドは私に向けて戸惑った笑みを浮かべながら、小さく、でもしっかりとうなずいた。
 コンラッドと入れ違いに私は部屋を出た。

 ――扉が閉まった後、彼らがどうなったのかは内緒だよ。





(12.12.28)

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