それは初夏の日差しが眩しい昼下がりのことで、おれはいつものようにコンラッドとキャッチボールをしていた。おれが少し力んでしまってコントロールが狂ったボールを拾いに行ったコンラッドは、戻ってくると「少し休憩しましょうか」と木陰へ誘った。たぶん、おれが腕で額の汗を拭ったのを見たからだろう。よく気がつく男だから。 木の下で座り込んだおれに冷たい水が差し出される。 「サンキュ」 見上げて礼を言ったら、彼にしては珍しく、反応が悪い。目を瞠り、それからなんとも歯切れの悪い、あいまいな表情をした。 「コンラッド? どうかした?」 「あ、いえ……」 返事をしたものの、コンラッドはやはりどこか気もそぞろで。不思議に思っていたら、ぼんやりとしたままの彼の顔が近づいてきた。なんだと思ったら、すんっと髪の匂いを嗅がれた。 「おい、なんだよ。汗くせーだろー?」 「いえ、それはいいだけど……」 「よくねーよ」 爽やかなスポーツでかいた汗は尊く美しい。とはいえ、汗臭い野郎の匂いなんて好きこのんで嗅ぎたくはない。 だが、コンラッドは、そんなことを気にした様子もなく、相変わらずおかしな表情のまま、何かを思い悩んでいる。やがて、戸惑いがちに彼の口が開いた。 「あの、もしかして、美香蘭を使っています?」 「は? いや、使ってないけど……」 「……そう、ですか」 「どうして? それっぽい匂いがした?」 美香蘭というのは、この世界へきたばかりの頃、ツェリさまが魔王専用風呂に置いておいたのを使ったばかりに、ヴォルフラムには逆上され婚約の危機に陥り、ギュンターが汁を垂れ流したあれだ。とてもいい香りがするものだけど、今のおれには似たような香りをつけた覚えもない。 「いえ、そうではないんですが……その、最近、あなたといるとクラクラするもので……」 「くらくらぁ? なにそれ?」 恐らくおれの疑問に答えようと、コンラッドは口を開こうとした。瞬間、城内に「べいがあああああああああああああああああ」と情けない声が響き渡る。もちろん声の主は(普段は)優秀なおれの王佐だ。 「あー、タイムリミッドだな。戻らないと」 「そうですね」 立ち上がり、もう一度見たコンラッドは、いつもの彼らしい苦笑を浮かべていた。 コンラッドが何を言おうとしていたのか、気になった……というか思い出したのは、夜になってからだった。魔王専用風呂でシャンプーを手に取ったときだ。昼間、彼が言っていた美香蘭はシャンプーに混ぜてあったものだ。でも、やっぱりいい匂いはするけど、今このシャンプーに美香蘭は混ざっていないはず。 「どうしたコンラッドはあんなことを言ったんだろ……」 首をひねりながらシャンプーを手に取る。ガシガシと髪を洗いながら、美香蘭の効能を思い出す。 ――少しでも好意を持っているならいっそう情熱的で大胆に、嫌っていればより険悪に。 まあいわゆる惚れ薬ってやつなんだけど。……惚れ薬? 「あ、れ?」 コンラッドはどうしておれが美香蘭を使っていると思ったのか。つまり、疑問に思うくらい、いつもよりもものすごく好意を感じたか、ものすごく嫌悪感があったということ? コンラッドに限って、おれを嫌いに感じるってことはないだろう。……ないよな? じゃあ、つまり? 「……クラクラ?」 あの、クラクラするっていうのは……? いつの間にか髪を洗う手が止まっているのに気づいて、慌てて再開する。 いやいや、早とちりはよくない。そうだ、もしかしたら本当にこのシャンプーに美香蘭が混ざっているのかもしれない。前とは匂いが違うのかも。だって、あのコンラッドさんがおれのことを……なんて、そんな、まさかねぇ? ……あれ、でも、美香蘭って魔族にしか効かないって、グリ江ちゃんも混血には効かなかったって、言っていたような? ……あれ? 洗面器に張ったお湯を頭からかぶり、泡を一気に流す。立ち上がり、ふらふらと広い湯船に向かうが、意識はすっかり外で待っている護衛のことでいっぱいだ。 彼はどういうつもりで言ったのだろう。まさか遠まわしな告白のつもりだった? だったら、おれのスルースキル高すぎ? でもコンラッドも無意識っぽかったし、もしかして気がついていないのか? いや、そもそも、本当に好きだって決まったわけじゃないし……。 湯に身体を落として天井を仰ぐ。 いずれにせよ、どんな顔をしてコンラッドに会えばいいのかわからない。腹をくくる決意ができるまで、今日はのぼせるくらいの長風呂になりそうだ。
2013/5/3ペーパー再録。
(13.08.09) |